学校の建設方法
学校の前で
社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)が、校舎設計を行い建設資材一式を住民側に供与します。そして、州教育局より学校基礎データと設計許可を受けます。
又、学校建設事業の特徴として「住民参加方式」という手法を用いています。具体的には、社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)が資機材の供与と専門家による技術指導を行いますが、地域住民も建設事業に主体的に関わり、作業員の人件費負担、労働奉仕などケースに応じて相応の負担をしてもらうということです。
援助団体側がすべてを供与するのではなく、むしろコミュニティが主役となって事業を実施するように方向付けています。住民組織、寺委員会の中にある学校建設委員会がその役割を担うということです。
技術的には
校舎はすべてブロックコンクリート平屋建てで、素焼きの瓦屋根葺きです。各校1棟ずつ建て、それぞれ5教室を有します。特徴は、窓が大きく彩光や気流循環に優れていて、大きく伸びたひさしの下がミニベランダになっているなど、快適な学習環境の実現を図っています。
プノンペンからダゥム・ポー村に行く途中、田圃の中でお尻丸出しで大便をしている子どもの姿を見ましたが、学校から次のトンレニアム小学校に到着した際、4人がまず尋ねたのは「トイレはどこですか?」・・「ない」という答えに4人揃って校舎の裏に行き、立ちション。
そういう状態ですので、トイレを各学校1棟ずつ建設することも含まれています。1棟に4部屋を有します。
教室備品として、児童用机・椅子(二人用一体式)120基、教師用机・椅子5基、黒板5枚、教壇5基のセットで供与されます。
さらに衛生面の改善を目指し、井戸の設置をする。主な目的としては飲料水の確保ということです。
図書館を訪問
右奥、紺色のTシャツが佐野俊也師
ダイアット図書館での読み聞かせの様子
社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)の活動の1つの図書館活動の現地視察ということで、ニロード図書館を訪ねました。下の写真でわかると思いますが、沢山の絵本が置かれ、多くの子どもたちがここを利用しています。説明では1ヶ月6000~7000人の子どもが利用しているとのことです。日本と違い、それだけ学ぶ場所がないということです。
佐野俊也師(下の写真の右奥、紺色のTシャツ)も絵本を読んでいる子どもの側に行って、話しかけています。そこには、日本から贈られた「3匹のくま」とか「3匹のこぶた」等の絵本がありました。勿論、日本語の上に翻訳されたクメール語のシールが貼られています。
古くなった絵本を手に取り「頑張ってるな お前」とつぶやきながら「もっと読んでもらえよ」と棚に戻しました。この図書館活動は、子どもたちの可能性を引き出すために「おはなし」を中心とした活動の普及を目指しているということです。ここでは、本を読んでいる子どもたちとは別に、折り紙を教えている1つの輪もあり、又、子どもたちを集めて読み聞かせもしていました。
ニロード図書館は、お寺の境内にあり、向い側の棟では、多くの修行僧が勉強していました。
ダイアット図書館は、お寺の境内に小学校と一緒に建っていて、比較的環境に恵まれているように感じました。
下の写真は、図書館に子どもたちを集めて、読み聞かせをしているところです。ここでも、日本から贈られた絵本が何冊か置かれていて、社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)の活動を再確認しました。
カンボジアの小学校教員の現状は、教員数の少ないこと、教員のレベルの低さ、給料の安いこと(教員で月給20~30ドル、一般企業大卒で月給100~150ドル)だそうです。
チュン・アイク慰霊塔
ブノンペンから南西へ15km。車で30~40分ほど農道の凹凸道を走ったところにあります。
当日の5月20日、この場所で大統領列席の下、記念式典が催された後に私達は到着し、沢山の僧侶が施しを受けている光景に出会いました。その場所は、キリング・フィールドといい、ポル・ポト派による大量虐殺が行われた場所です。慰霊塔の中には、掘り起こされた人骨が積み立ててあり、8000以上の頭蓋骨がその搭のガラス越しに見ることができます。その搭の前で私達は参拝をし霊を慰めました。
搭の周りには、掘り起こされた窪みが沢山あり、説明によるとここで、殺される前に自分で穴を掘り埋められたり、赤ちゃんの場合、木に叩きつけられて殺害され葬られたということです。
キリング・フィールド。沢山の僧侶が列をなし、施しを受けている様子。 | チェン・アイク慰霊塔。慰霊塔の中には、8千以上の頭蓋骨が積み立てられている。 |
ツールスレイン虐殺博物館
ここは、もとは高校の校舎ということです。ポロ・ポト時代には、刑務所として使用され、多くの人々が拷問の末、処刑されたということです。
ブロックで仕切られた囚人房、拷問用の機具、ベッド、処刑後の写真が展示されています。外には、逆さに吊るして水攻めをしたという鉄棒の跡もありました。レンガブロックで仕切られた一畳もないような独房もあり、又、異様な数の顔写真が壁を埋め尽くし、途中で見るのをやめようかと思いましたが、何とか最後まで見学しました。二度とあの場所には行きたくないと思うほど生々しいものでした。その写真というのは、ポロ・ポト派がこれから処刑しようとする人々を撮影したものです。そして鎖で縛られた人が生爪をはがされている絵や、頭蓋骨を並べてカンボジアの地図にして展示している部屋もありました。
建物から出ると、佐野さんと三部さんが受付の辺りで待っていてくれました。おそらく、前回見学しているからだと思います。私も次回行ったとしたら同じようにすると思います。
SVAバンコク事務所事業視察
SVAのバンコク事務所にて、所長の八木沢克昌氏と。
5月21日最終日、午前中ブノンペン(カンボジア)から飛行機でバンコク(タイ)に移動。空港からタクシーでSVAの事務所に向かったのですが、高速道路をビュンビュン。そのタクシーの窓から見える風景で目立つのは、日本の企業の大きな広告看板。カンボジアとはえらい違いやなあと思いながら着いた所はスラム街。
事務所はその中にあり、高速を降りてからタクシーの運転手さんは少し迷ったみたいでしたが、無事到着。事務所では事業活動がわかるようにビデオで見せてくれました。特に印象に残ったのは、移動図書館の活動でした。
スラムの子どもたちは、家が狭く、本を読んだり勉強する場所がないとのこと。勉強する意欲はあっても読書もできない。そんな子どもたちの為に、100ヵ所くらい巡回しているそうです。
この事務所には、大リーグで活躍している佐々木主浩投手の大きなパネルが飾っていました。どうしてだろうと尋ねると、事務所長の八木沢克昌さんが、佐々木投手と同じ東北福祉大学出身という繋がりによるようです。佐々木投手は、横浜ベイスターズで在籍していた1998年に日本一になり、正力賞を受賞。その賞金(500万円)などで「佐々木投手アジア教育福祉奨学金基金」を設立し、社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)を通じてバンコクのスラムに住む子どもたちの支援をはじめたということです。
クロントイスラムの視察
クロントイスラムの中にある幼稚園にて。園児の踊りで歓迎して頂きました。
バンコク最大のスラムとういうことですが、中にある図書館と幼稚園に案内してもらいました。幅1メートルほどの路地を右に左に、はぐれたら自力では元の場所に戻れないなあと思いながらも、キョロキョロと辺りを見まわしながらついて行きました。
図書館の前を通り、最初に幼稚園に案内してくれました。園児の作った花飾りや、綺麗な衣装を着た園児の踊りで歓迎して頂き、少し戸惑いながらも、SVAの方々の日頃の活動の成果なんだと感激しました。
ここには、故小渕総理が外務大臣の時にこの幼稚園を訪れた時の写真が飾られていました。
図書館には、日本から贈られた絵本や小説、学習参考書などがあり、多くの子どもたちが利用しているとのこと。又、タイの舞踊の練習もこの図書館の2階で行っているということでした。
おわりに
バンコク事務所にあるクラフトショップで。佐野さん何を買ってるの?
これで、視察研修記を終わりますが、誘って頂いた佐野さん、又、同行して頂いた三部さん、三橋さん、染谷さんには心より感謝申し上げます。
今後も、SVAを通じて私に出来る範囲で協力させて頂きたいと思っています。